大学院修士1年で絶望に落ちた時、どうやって這い上がったか

モナリザ640

こんにちは、牧野直子です。
私自身の話をお話しします。

 

大学は明治大学建築学科へ

建築がやりたいと思って、明治大学の建築学科に進みました。

受験の時、高校の先輩で建築学科に行った人がいて、建築は女子が行っても、苦労するだけだから辞めたほうがいい。ってアドバイスくれた人がいました。

でも、そんなアドバイスは猫に小判、馬耳東風。

そうなんですね。じゃあ、がんばります!

ってあんまり気にせずに受験しました(笑)

その時点で、今考えたらアホだわ。。

当時、建築学科で意匠設計を選ぶとなると、大学院まで行くのが当たり前の風潮があり、私も親に無理言って大学院まで行かせてもらいました。

建築にかなりはまって、夢中になって勉強や設計をしていたので、大学の卒業設計は、2位。1位は、今では若手建築家で大活躍の人。最終選考で私と彼で、票も僅差だったらしいです。だから、結構いい線行ってたよね。

就職活動をする時期になり、スーパーゼネコンに勤める先輩たちが、OB訪問と言って、学校にたくさん来ました。

私も先輩方に、話をさせてもらって、過去の作品やら研究やら見てもらったのですが、そんなことも全く関係なく、

「女性は推薦受けるだけ、無駄だよ。会社入っても、設計なんてさせてもらえないし、お茶くみぐらい。女性は結婚したら会社やめるでしょ。
だから、会社も育てようとしないし、何もできないよ。
まあ、それでもいいって言うなら、紹介できなくもないけど・・」

他のゼネコンの先輩方も、ほぼ同じような答え。

女性が働きずらい世界とは聞いてたけど、まさかここまでとは。

だって、卒業設計だって、いい成績とってるのに。。

女性っていうだけで、ここまで・・。

 

頭が真っ暗、ウツに

私は頭の中が真っ暗になり、毎日毎日、涙がポロポロ。

食べるものも喉を通らず、、って、それだけは違った、食べるものは食べてたけど、一人になると毎日泣いていた。

昼間は、学校の屋上に行って、下を眺める。
でも、勇気がなくて、また降りる。

その繰り返し、みたいな。。

なんで私、女なんだよ!なんで女に生まれたんだよ!!

本当に女に生まれたことが悔しくて悔しくて仕方なかった。

将来の不安におびえて。
完全にウツになりました。

でも、なんとかこの状況から抜け出さなきゃ。

そこで、私は、自分自身に賭けをすることにしました。

 

人生の賭けをすることに

当時、応募総数が一番多くて、とても人気だったエス・バイ・エルの建築アイデアコンペに応募することにしました。

これで佳作でもいいから、ひっかかったら、建築を続けよう。
もし何もひっかからなかったら、もう建築を辞めて、尼崎に帰ろう、と思いました。

エス・バイ・エルのアイデアコンペは、いつも歴史上の人物がテーマで、その人の家とはどんな家だろう、というのがお題。

そして私が応募したときのお題が「モナ・リザの家」というお題でした。

何通りも案を考えて、そしてその中からこれだ!と思うものを作った。

当時、CGが流行りだしてきたこともあって、CGで作品を仕上げる人が多いなか、完全にコピーのきかない作品、銀色の塗料とサビ出しの塗料を使って、背景を描き、その中に設計図を 描きました。

図1

結果、見事2位!

すると、大賞は逃したものの、見事、2等にあたる審査委員長が選ぶ「出江寛賞」という賞をいただくことができました。

図2

 

そこで、私は、これからどんな辛いことがあっても、弱音をはかない。
建築の道に進むんだ!と心に誓うことになりました。

 

この時の賭けがあったからこそ、この先、いろんな辛いことが起こりますが、なんとかやってきました。

いい思い出です。

最後までありがとうございます!

一級建築士。店舗やオフィスを主に設計しています。ワクワクする建築を作提案しています。お笑いとバレーボールが大好き。