こんにちは、牧野直子です。
私自身の話をお話しします。
大学は明治大学建築学科へ
建築がやりたいと思って、明治大学の建築学科に進みました。
受験の時、高校の先輩で建築学科に行った人がいて、建築は女子が行っても、苦労するだけだから辞めたほうがいい。ってアドバイスくれた人がいました。
でも、そんなアドバイスは猫に小判、馬耳東風。
そうなんですね。じゃあ、がんばります!
ってあんまり気にせずに受験しました(笑)
その時点で、今考えたらアホだわ。。
当時、建築学科で意匠設計を選ぶとなると、大学院まで行くのが当たり前の風潮があり、私も親に無理言って大学院まで行かせてもらいました。
建築にかなりはまって、夢中になって勉強や設計をしていたので、大学の卒業設計は、2位。1位は、今では若手建築家で大活躍の人。最終選考で私と彼で、票も僅差だったらしいです。だから、結構いい線行ってたよね。
就職活動をする時期になり、スーパーゼネコンに勤める先輩たちが、OB訪問と言って、学校にたくさん来ました。
私も先輩方に、話をさせてもらって、過去の作品やら研究やら見てもらったのですが、そんなことも全く関係なく、
だから、会社も育てようとしないし、何もできないよ。
まあ、それでもいいって言うなら、紹介できなくもないけど・・」
他のゼネコンの先輩方も、ほぼ同じような答え。
女性が働きずらい世界とは聞いてたけど、まさかここまでとは。
だって、卒業設計だって、いい成績とってるのに。。
女性っていうだけで、ここまで・・。
頭が真っ暗、ウツに
私は頭の中が真っ暗になり、毎日毎日、涙がポロポロ。
食べるものも喉を通らず、、って、それだけは違った、食べるものは食べてたけど、一人になると毎日泣いていた。
昼間は、学校の屋上に行って、下を眺める。
でも、勇気がなくて、また降りる。
その繰り返し、みたいな。。
なんで私、女なんだよ!なんで女に生まれたんだよ!!
本当に女に生まれたことが悔しくて悔しくて仕方なかった。
将来の不安におびえて。
完全にウツになりました。
でも、なんとかこの状況から抜け出さなきゃ。
そこで、私は、自分自身に賭けをすることにしました。
人生の賭けをすることに
当時、応募総数が一番多くて、とても人気だったエス・バイ・エルの建築アイデアコンペに応募することにしました。
これで佳作でもいいから、ひっかかったら、建築を続けよう。
もし何もひっかからなかったら、もう建築を辞めて、尼崎に帰ろう、と思いました。
エス・バイ・エルのアイデアコンペは、いつも歴史上の人物がテーマで、その人の家とはどんな家だろう、というのがお題。
そして私が応募したときのお題が「モナ・リザの家」というお題でした。
何通りも案を考えて、そしてその中からこれだ!と思うものを作った。
当時、CGが流行りだしてきたこともあって、CGで作品を仕上げる人が多いなか、完全にコピーのきかない作品、銀色の塗料とサビ出しの塗料を使って、背景を描き、その中に設計図を 描きました。
結果、見事2位!
すると、大賞は逃したものの、見事、2等にあたる審査委員長が選ぶ「出江寛賞」という賞をいただくことができました。
そこで、私は、これからどんな辛いことがあっても、弱音をはかない。
建築の道に進むんだ!と心に誓うことになりました。
この時の賭けがあったからこそ、この先、いろんな辛いことが起こりますが、なんとかやってきました。
いい思い出です。
最後までありがとうございます!